やばい病気なんじゃないの?

現在絶賛入院中!その経緯は?私の病名は?これから私、どうなるの?混乱すると知らなかった自分に出会えたり、理解できなかったり。人間のそんな謎な部分の真相を明らかに!!できたらいいなと思ってます。

そもそもなぜ②(重くならない様努力中!)

前回は少し重めの妊娠から中絶を決めた時までの話でした。

その続きになりますが、なるべく暗くならない様にしたいなあ。

 

 

とにかくK君と二人で中絶することを決めてから、私は心の中にザワザワを感じつつも、つわりと闘っていました。

私が一人暮らししている部屋に彼も寝泊りし、食事の用意を手伝ってくれたり、一緒にネットフリックスを見たり、散歩をしたり。

情緒不安定な私のそばにいてくれました。

ちょうどK君は転職活動中で、ほぼ次の会社も決まっていた時期だったので、サポートしてもらえたことは非常に心強かったです。

 

妊娠発覚直後に行った診療所は中絶手術を行っていない所でした。

中絶をするならば出来るだけ早い方が良い、というのは知っていたので、近くの良さそうな婦人科を探すことにしました。

中絶という行為にネガティブだった私は、なかなか検索することが出来ず、K君に手伝ってもらいながら、なんとか下北沢の診療所へ行くことを決めました。

 

一件目に行った診療所は雰囲気も悪く、サイトには中絶手術を行ってると書いてあったにも関わらず、理由が明確でなければ中絶手術は出来ない、と言われてしまいました。

女性ホルモンがバンバンに乱れていた私は怒りながら、こんなとこに頼むもんか!みたいな感じで、外で待っていたK君に文句を言いながらファーストキッチンでやけ食い。

その間に、下北沢のもう一つの診療所を検索し、そこは電話でも手術予約OKとのことだったので、そこに予約を入れました。

 

あの時、凄く腹が立ったり、やけになったのはホルモンバランスが乱れていたり、妊娠中に、子が親を守る母性本能みたいなものがバンバンに放出されていたのではないかと思っています。

さらに、中絶することへのザワザワ感が手術への不安を倍増させ、イライラへ繋がっていた様に思います。

 

あの時、もう少し冷静に考えたり、話し合うことができていたら。と後悔しても仕方ないですが、、、

人間には、何かが起こったときに、自分でも気づけない感情の表れがあるのは間違いないと思います。

そばにいる人でも本人でも、それに気づいて、一呼吸時間を置くことができれば、そういう状況下でももう少し的確な思考を生み出せるのではないかな、と思っています。

 

ただ、なかなかその時それに気付くのって難しいですよね。

 

また中絶前の話で終わってしましましたが一気に全部は書くのも読むのもダルイと思うので、続くことにします。。。

 

あ、あと退院の日が9日に決まりました!

先長いと思っていましたが、日にちが確実に決定すると安心しますね。

退院まで、心穏やかに休養の時間を過ごせれ良いなあ、と思っています。

 

 

 

 

そもそもなぜ①(ちょっと重めかも)

なぜ『死にたいパニック』に陥るほど絶望的な思考になってしまったのかを整理していきたいと思います。

 

中絶の経験が大きな一因となっていることは明確なのですが、パニックに陥るほどではありませんでした。

 

そもそも、妊娠が発覚したのは中絶をする一週間ほど前のこと。

発覚した時点で妊娠8週目でした。

その8週間は夏バテに耐えながら(つわりを夏バテだと思っていました。)デザイン事務所に勤務してました。

行き帰りの自転車がだんだん辛くなっていき、パソコンの画面は見てるとグルグル目が回り吐き気を催しました。

腰に鈍い痛みがあり、ヨボヨボで事務所ではばあさんと言われ。笑

夏バテに負けていられないと食事をしっかり取る様心がけていましたが、一向に治りませんでした。

当時付き合っていたK君に心配され、一緒に検査薬を買い、結果は陽性。

全額支払うのでおろして欲しいと言われた時は、検査薬失敗しただけでは?などと、まだ状況を飲み込めず、ひたすらコンビニで買った中本蒙古担麺のカップラーメンを啜っていました。

婦人科で、妊婦さんだらけの待合室と「おめでとうございます。」と満面の笑みを浮かべる先生を前にうなずくことしかできず、彼はただ近くの公園で待つことしかできず。

その日は確か私の旺盛な食欲に驚きながらピザを頼んで二人で過ごしたと思います。

 

今思えば、その頃から、私の精神状態は少し歪み始めてたのではないかと思います。

 

まずひとつに。

 

誰にも相談せずに2人で中絶を決めたことにザワザワとした感情を抱いていました。

 

いまこの状況(私はデザイン事務所で働き始めたばかりで、収入が多くはなく、彼は3年働いた会社を退職したばかりで、転職活動中でした。)では、産んでも幸せにすることができない、と彼から告げられました。

けれどあとになって、私は、この時もっと周りのみんなに相談してみれば良かったと思いました。

何か違う意見や違う角度からみることもできたかもしれない、と誰にも言わなかった結果、中絶後にひどく後悔することになってしまいました。

 

お腹に一つの命があることは確かで、中絶するということはその小さな命を犠牲にするということです。

重いし、暗く、聞こえてしまうかもしれませんが、ここの部分の重大さは男女問わず!若い人には特に!心に刻んでおいてもらいたい部分です。

 

特に男性は(男性を攻めたいわけではありません!)『中絶』という言葉は理解できても、女性のお腹の中の命を体感することは出来ないし、女性本人でも無いので、自分とは違う命がひとつ、自分の中にいるという不思議な感覚がわからないのは当たり前のことです。

 

でもそこに命があるということに気づけたら、中絶を選択する前に一呼吸置いて、『本当にそれで良いのか?』という疑問と真剣に向き合ってほしいです。

 

K君のことを悪くいうつもりはないし、現実的に厳しいという彼の気持ちも理解した上で私も中絶を決意しましたが、ただ、中絶してほしいという意向が一度も曲がることがなかった彼がどうしても『やばい、デキちゃった、早くどうにかしなければ』という気持ちが先行しているように思えたのです。

 

そこから、私は彼を強く攻める様になっていきました。

 

 

暗くなっちゃったけど、次回につづく。ことにします。

 

 

 

 

 

頭の整理をしつつ。

状況をわかりやすく話していくことで、自分の脳内も整理していきたいと思ってます。

ブレインストーミングだっけ?ちがうかな?

 

相変わらずここは病院なわけですが。

何科かというと、精神科。

簡単に言えば精神疲労による休養入院。というものをしております。

 

前回話しましたが、中絶の経験から、私の脳内はとにかくパニックパニック!

大混乱の日々が続きました。

 

もはや年末にかけては絶望の淵から死に向かって真っしぐらに突っ走ってました。

 

死にたい死にたい。辛すぎる。的な大パニック!

 

もちろん冷静に考えれば

 

生きたい。死にたくない。

死ぬのこわい。笑

 

前に進もうとしてる自分もちゃんといます。

猫のヨヨギとのんびり過ごす日もあれば、絵を描いて過ごす日もあり。

友達としゃべりまくる日もあれば、ボスの目の前でベロベロになるまで飲む日もありました。

 

だけどパニック状態に陥ると、もうそんな楽しいこととか冷静になんて考えられません。

早くこの世界とおさらばしてしまいたい!

消えてしまいたい!!と切実に思いながら、道路の真ん中を突っ走ったり、薬をガブ飲みしたり。

 

 

でも自ら死ぬのってとても難しいことでした。

 

 

心の中のどっかの自分が、

 

生きたい、死にたくない、こわい、助けて。

 

と思ってるのです。

だから人目につくところでそういうことしてみたり、誰かに連絡したり。

そんな中途半端なことばかりして、家族や友人をはじめ、近隣の住人、たまたま近くにいた人、おまわりさん、救急隊の方などなどなど、たくさんの方にとても迷惑をかけてしまいました。。。

 

今でも、突発的に死のうとするんじゃないかと疑われているので、病室に持ち込めるものは限られているし、化粧水のビンとかは凶器になりかねないので、いちいち声をかけて出してもらいます。

 

でもたしかにあそこまでパニックになる自分を経験すると、何をしでかすかわからないので、そうして貰った方がこちらとしても安心です。

 

母やK君(今回の原因のひとつとなってしまった現状元彼のK君。※彼についても徐々に書けたら良いな、と思ってます。)が四六時中一緒にいて、パニックを防ぐことは不可能です。

しかし、目を離したらまたうっかり死のうとするかもしれない。

という訳で、病院で心穏やかな自分を取り戻すべく、療養しているのですが、、、

 

なにせ年末年始。

29日から4日まで先生たちもお休み。ってことで診察など何もすることなく、ただただ時間通りに薬を飲み、パニックやハイや鬱にならないように慎重になりながら、自分と向き合う日々を送っているのです。

 

でもこんなブログ書き始めたりして、元気な私はもしかして躁状態

ただ元気なだけ?

 

こういう判断って健常者として生活してる方々は日々意識することはないと思いますが、こういう状況になってしまった私は、一歩引いて考えてしまいます。

 

 

私今、正常なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

初日の出は病棟にて。

 

初めてのブログを新年早々、入院病棟のパソコンルーム?なんだかパソコンが二台置いてある簡素な空間で書いてます。

dorokumaという名前にしました。由来はまた今度。

 

 

今、状況が状況なだけに(入院してます。)収入がなく、時間は必要以上にあるので後々登場するK君がちらっと言ってた『ブログでもお金が稼げる』って言葉を信じて一心不乱にキーボードを叩いているわけですが。。。なんかグーグルアドセンスというのを登録するのかな?まあややこしいことは後まわし。

 

 

 

 

そもそもなぜ年末年始を病院で、、、?

始まりは去年の秋、9月下旬!

 

 

私は、中絶を経験しました。

 

 

こういうワードを使うとこのブログは暗そう、とか『メンヘラ』、とか思われるのだろうか。

だけど私は声を大にして言いたい。

 

 

私は断じて暗くないし、『メンヘラ』でもない!!!!

※でも『メンヘラ』について良く知らないので、後ほど詳しく調べて、それについても書いていきたいと思ってます。。。

 

 

ちなみに入院前は三茶で暴れまくっていて(色んな意味で)、体力的には至って元気。

いや、少し疲れやすいですかね?

 

 

そこから2017年怒涛の下半期です。

気付いたら大晦日、病院のベッドの上。21時には自主的に就寝し、起きたら2018年を迎えておりました。

 

私の年明けはこんな感じにスタートした訳です。