そもそもなぜ①(ちょっと重めかも)
なぜ『死にたいパニック』に陥るほど絶望的な思考になってしまったのかを整理していきたいと思います。
中絶の経験が大きな一因となっていることは明確なのですが、パニックに陥るほどではありませんでした。
そもそも、妊娠が発覚したのは中絶をする一週間ほど前のこと。
発覚した時点で妊娠8週目でした。
その8週間は夏バテに耐えながら(つわりを夏バテだと思っていました。)デザイン事務所に勤務してました。
行き帰りの自転車がだんだん辛くなっていき、パソコンの画面は見てるとグルグル目が回り吐き気を催しました。
腰に鈍い痛みがあり、ヨボヨボで事務所ではばあさんと言われ。笑
夏バテに負けていられないと食事をしっかり取る様心がけていましたが、一向に治りませんでした。
当時付き合っていたK君に心配され、一緒に検査薬を買い、結果は陽性。
全額支払うのでおろして欲しいと言われた時は、検査薬失敗しただけでは?などと、まだ状況を飲み込めず、ひたすらコンビニで買った中本蒙古担麺のカップラーメンを啜っていました。
婦人科で、妊婦さんだらけの待合室と「おめでとうございます。」と満面の笑みを浮かべる先生を前にうなずくことしかできず、彼はただ近くの公園で待つことしかできず。
その日は確か私の旺盛な食欲に驚きながらピザを頼んで二人で過ごしたと思います。
今思えば、その頃から、私の精神状態は少し歪み始めてたのではないかと思います。
まずひとつに。
誰にも相談せずに2人で中絶を決めたことにザワザワとした感情を抱いていました。
いまこの状況(私はデザイン事務所で働き始めたばかりで、収入が多くはなく、彼は3年働いた会社を退職したばかりで、転職活動中でした。)では、産んでも幸せにすることができない、と彼から告げられました。
けれどあとになって、私は、この時もっと周りのみんなに相談してみれば良かったと思いました。
何か違う意見や違う角度からみることもできたかもしれない、と誰にも言わなかった結果、中絶後にひどく後悔することになってしまいました。
お腹に一つの命があることは確かで、中絶するということはその小さな命を犠牲にするということです。
重いし、暗く、聞こえてしまうかもしれませんが、ここの部分の重大さは男女問わず!若い人には特に!心に刻んでおいてもらいたい部分です。
特に男性は(男性を攻めたいわけではありません!)『中絶』という言葉は理解できても、女性のお腹の中の命を体感することは出来ないし、女性本人でも無いので、自分とは違う命がひとつ、自分の中にいるという不思議な感覚がわからないのは当たり前のことです。
でもそこに命があるということに気づけたら、中絶を選択する前に一呼吸置いて、『本当にそれで良いのか?』という疑問と真剣に向き合ってほしいです。
K君のことを悪くいうつもりはないし、現実的に厳しいという彼の気持ちも理解した上で私も中絶を決意しましたが、ただ、中絶してほしいという意向が一度も曲がることがなかった彼がどうしても『やばい、デキちゃった、早くどうにかしなければ』という気持ちが先行しているように思えたのです。
そこから、私は彼を強く攻める様になっていきました。
暗くなっちゃったけど、次回につづく。ことにします。